本家窯元三輪楽雅堂の「天竜峡焼」

「天竜峡焼」の伝統とも言える「篆刻(てんこく)」。
創業から三代、代々受け継がれてきた技法は時代とともに磨きをかけられ、
近代的なデザインを取り込んで新たな境地を開拓してきました。
新しい三輪楽雅堂の作品も是非ご高覧下さい。






















 この地方には太古の土器の窯跡などがあったそうですが、幕末近く(寛永元年頃)に瀬戸の陶工が当地へ招かれ、飯田藩のお庭焼を焼いたものが今の天竜峡焼の始まりと言われています。
 明治三十六年頃から、陶器に篆刻をほどこしてより一層趣味を添えられた茶器・酒器・花器などを製作するようになり、これがとても好評を博したということです。
 当地での創業は大正八年、十一年には天竜峡にて築窯し、現在の三輪楽雅堂の姿になりました。(上の画像は当時の工房)

◆三輪石潤受賞暦
 大正11年 長野県諏訪湖上博覧会 銀牌
 大正13年 万国博覧会参加50年記念博覧会 記念状
 昭和 2年 中央勧業博覧会 二等賞 銀牌
 昭和 2年 内国勧業博覧会 一等賞 金牌
 昭和 3年 御大典記念名古屋博覧会 金牌
 昭和 3年 京都府御大礼記念全国優良品審査大会 一等賞 金牌
         昭和30年12月没

◆三輪石仙受賞暦
 昭和42年 ペルー国リマ市日秘文化会館より感謝状
 昭和62年 伝統的工芸品産業功労者表彰 通産省より祝詞授与
         平成15年6月没

昭和の時代の「のぼり窯」。二代目三輪石仙とそのスタッフの方々が徹夜で火力を確かめながら焼き上げる珍しい画像です。

乾燥した作品の窯入れ

入念に確認

薪は赤松

火を絶やさずに

石仙自身で火力を確認

いよいよ窯出し


焼きあがった作品


自身で焼き上りを検証

焼きあがった篆刻の壷

 篆刻とは、中国が起源で印章を作成する行為をさす。
主に篆書を刻する(彫る)ことから篆刻と言うが、必ずしも篆書とは限らず、図章の場合もある。
 また、金属(銅・金など)を鋳造して印章を作成する場合も篆刻という。その鋳型に彫刻を要するからだそうである。
 書と彫刻が結合した工芸美術としての側面が強く、特に文人の余技としての行為を指す。
 現代でも中国・日本を中心に篆刻を趣味とする人は多い。

          以上「ウイキペディア」より

 陶器に篆刻を施す場合、素材である土のきめが細かくなければなりません。
 天竜峡から東へ約5キロのあたりに、きめが細かく上質な篆刻に向いた土があるのです。
 創業者「三輪石潤」はこの土と出会うことにより、焼き物に篆刻を施すことを思い付いたのでしょうか?。

創業者「三輪石潤」篆刻陶器の代表作 ※非売品

二代目「三輪石仙」篆刻陶器の代表作 ※非売品

 芸術性の高さだけでなく実用にもこだわった初代「三輪石潤」の作品は、薄く・軽く・美しく、見るものを感銘の世界へといざないます。
 原土を精魂込めて手造りで形を整え、昔ながらの「のぼり窯」で赤松の薪を焚いて焼き上げました。
 それぞれの異なる色合いと雅味が現れるのが特徴です。

 多彩な作品を残した二代目「三輪石仙」。軽くて使いやすく、それでいて姿の美しい急須は誰にも真似の出来ない石仙ならではのもの。
 又、現在でも「天竜石仙」と多くの盆栽愛好家に愛されている小品盆栽鉢は、石仙が長年の研鑽を重ねて制作した逸品です。
 その他にも、天竜峡のおみやげにと親しまれているミニ花瓶や、画像のようにドクダミの花葉を移した花器など、秀逸な作品を数多く制作いたしました。
 それらの作品のうち、ミニ花瓶(小型壷)や小品盆栽鉢は、昭和40年代に当地をご訪問された皇太子殿下ご夫妻(現天皇陛下ご夫妻)にお買い上げを賜りました。

使う人がうれしくなる陶器、
そんな陶器を目指して
天竜峡焼の新たな姿を模索した結果
「まいにちの器」に到達いたしました。
毎日使う、
いつも使う、
使うたびに心が和む・・・。
そんな陶器を求め続けた結果が、
この形だったのです。
気取らず、
飾らず、
どこか素朴でそれでいておしゃれ・・・。
そんな器たちを作り続けたいと思います。
                 三輪俊子